VIENNA×JAPAN PROJECT “NATU NATU”

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オーストリア・ウイーンにて、ウイーンと日本のアーティストで展覧会をつくる自主レジデンス企画。

自給自足の当レジデンスは、訪れた国で作品のために社会的リサーチやアプローチをするのではなく、最終的に展覧会を作る、という目的だけを設定し、普通の家にやっかいになる。当然のごとく観光し、周辺諸国を周り、ウイーンの人々と遊ぶードナウ川で寝転んだり、ナイトクラブへ行ったり、大通りでショッピングをしたり。その過程で出会ったアーティストと話し、必要に駆られて、つまり助成金をもらい賞の代償として報告するためでなく、コミュニケーションをとるためにプレゼンテーションをする。アートで権威のあるひとに出会えるかと言えばそうでもないし、次の展示が決まる予定もない。ただ、偶然遊びに来た近所のひとや新しい友人と、ラディカルに様々なことを話し合い、体験することで浮かび上がるトピックをモチーフにしていった。

なお、NATUNATU 1はMES全体によるアーカイブの一部NATUNATU 2は、フィルムかつモノクロ写真を専門に活動をしているイタリアのフォトグラファー、Thilo Leminiのストーリーの一部である。

アフター・ステイトメント

ウイーンで日本とクロッシングするイヴェントができたら。
そう口に出してから、3ヶ月のうちに実現したこの企画。

実際、オーストリア・ウイーンに行ってみると、東京という都市はほとんど認知されていないどころか、日本という国自体それほど知られていない。専門のファストフード店で売っているサーモンの寿司は寿司大国・日本と変わりなく美味しいし、街中で見かけるブランドショップはほとんど同じものだったりするのに。〈トーキョー〉〈ジャパン〉はニッチな人が知っているところといった具合で、日本が好き、日本の建築を見てみたい、ということを伝えてくれるアート関係の来訪客や、通いつめていた近所の画材屋のおじさんが、HOKUSAI通りというのが近くにあるんだ、ということを教えてくれる他は、日本について話をすることはなかった。

代わりに、家族の話、アートや音楽の話、死生観、制作、日本にいても当然にする会話をすることが多かった。国という枠組みが大きく頭をもたげそうなものだが、いざ話し合う時には、共通の、小さなトピックから話し合う。

アートに限って言えば、ウイーンは、ウイーンの金字塔ともいうべきクリムトやエゴン・シーレの専門の美術館や、クラシック音楽のイメージが先行していた。しかし、ウイーン・アクショニズムの本拠地としてパフォーマンスのフェスティバルが開催されていたり、戦後のウイーンの動向は非常に興味深い。現代美術館もそれなりに充実している。また、同時代に高名なアーティストはコンセプチュアルな人が多いとも、ウイーンのアーティストが話していた。一方、近所でカフェを運営していた若手のアーティストたちは、そこをアトリエと兼ね、映像作品やペイント、グッズなどをつくっており、現在の日本に見られるような、共同体、コレクティブのような動きもあった。

当のMESの展覧会は、洞窟のような、個人のものとしては羨ましいほど大きなアトリエで滞在制作の延長線上で行われた。入口の煉瓦造りの空間には、一方の壁面にドローイングや銀箔で壁面にインスタレーションを作り、もう一方にはグラフィティよろしく日本語を織り交ぜた6Mほどのライブペインティング作品を掲示。中心の空間には、パフォーマーを兼ねるペインターの具象油彩、自然の中で経年によって形作られたモティーフで構成された絵画インスタレーション、ポスト構造学的意識を投影した写真作品、その場で1週間ほどかけて書き上げたペインティング作品を並べた。奥の部屋にはレーザーでのアニメーションルームを、コラージュを貼り合わせたイラストでバスルームを装飾した。そのほか、ロゴをかかげたり、様々なマテリアルの交錯する展示となった。

当日は、各日、ミュージシャンを招待し、リアルな環境音から激しいビートミュージックをプレイするトラックメイカー、ギターとウッドベースのジャズユニットがそれぞれ音を奏で、遊びに来ていたシンガーが歌い、野外ではウクレレを奏でた。もともと音楽スタジオだったという洞窟のような展示空間は刺激的な音で満たされ、夜な夜な酒を飲み交わし、深夜になると展示を閉めてパーティーに繰り出した。